与論島


与論島へ行ったのは、1979年の8月だった。
スキューバダイビングを始めたのが前年の春で、初ダイビングが真名鶴、
その後IOP、三宅島へ行った。
与論島は僕にとって、初めての南の島だったので、その感動は大きく
印象にも強く残ったのだった。南の島めぐりのスタートだった。
だから25年過ぎた今でも、思い起こすことができる。

大学生だった。同じ大学のダイビング仲間と二人で行くことにした。
大学生だれもが(と言っていいかわからないが)時間はあるけど
金がないというなかで、例外ではなかった僕達は、南の島にどうしたら行けるだろう
と考えたのだった。
いろいろな旅行パンフレットを集め、とにかく安いツアーを探したら驚くほど安いツアーが
あったのだ。正確な値段は忘れてしまったが、往復の船代と民宿8泊全日程12日間で4万円くらいだった。
4万円は正確ではないが、それより高かったとしても安かったとしても大きくは違わないと思う。
25年前で、物価が安かったのではと思う人もいるかもしれないが、25年前と今を比べると
大幅に値上がりしたものもあるが、全体的にはそれほど上がっていないように思う。旅行費も
それほど上がっていない。

往復船だった。東京の晴海からかなり大きな5000tくらいはありそうな船に乗り込んだ。
2等の船室はカーペットが敷かれているだけで、他に何もない広い部屋だった。
乗り込むと当然のように場所確保をした。雑魚寝状態で一人分のスペースは狭かったが、
何とか体を伸ばして寝ることはできた。しかし、横になって寝ると船のエンジンの振動が体に伝わってきて
気持ち悪い。出港して数時間過ぎると、気持ち悪くなった人が大勢出てきた。
44時間の航海はさすがに長かったが、海の色がしだいに青くなっていき、南の島に近づいていることを
知らせてくれ、期待感が気持ちを紛らわしてくれた。

与論島には昼に着いたので、民宿に荷物を降ろすとそのまま海へ行った。
珊瑚が砕けてできた砂はきめが細かく、感触がいい。
海の透明度はすばらしく、「これぞ南の島」だった。

お金がない旅なので、毎日スキューバダイビングをするわけにいかず、到着してから初めのうちは
素潜りをして遊んだ。ウエットスーツと三点セット、4kgのウエイトを持っていっていた。

ダイビングサービスに行き、ダイビングの申込をした。ダイビングサービスと言っても、スーパーマーケットや
ディスコなども経営していて、ダイビングの客はほとんどいないようだった。
僕たち2人とアルバイトの筑波大生2人とDSのおじさんの計5人でビーチダイビングをすることになった。
僕たちは残圧計付きレギュレターを持っていたが、筑波大生はDSのレギュレターで残圧計は付いていなかった。
その頃オクトパスは誰も付けていなかった。タンクはレバーが付いていて、レバーを上げた状態で潜り、空気が
なくなるとレバーを下げる。そうすると30気圧くらいの空気がタンクに補充される仕組みになっていた。
しかしレバーを上げて潜っても、何かに引っかかって、知らないうちにレバーが下がっていたということもありえない
ことではない。残圧計がないことは、かなり不安である。
チャッポンチャッポンしている海にエントリーして、リーフの隙間から外に出た。
透明度15mくらいだったし、これといった魚が見られたわけではなかったが、初の南の海ダイビングは、
「潜った」というだけで感動だった。
おじさんは体が小さくやせているが、すいすい泳ぎ、後ろを振り返ることもほとんどなく、ついていくのがやっとだった。
最近のダイビングはゆっくり移動で、引率するガイドがお客を把握しながら進むのは当然なことだが、このころ
沖縄にガイドシステムはあったが、サービスによってその内容にばらつきがあった。
おじさんは残圧計を確認することは一度もなく、すいすい泳いで40分ほどするとリーフの隙間から陸地側に戻っていった。
その後に続こうと思ったのだが、リーフの内側から外側にものすごく強い潮が流れていた。海底をつかみながら進めば、
行けないことはないのだが、残圧計が10気圧を指していて途中で空気がなくなる可能性があったので、しかたなく
リーフをよじ登って内側に入ることにした。リーフは生きている珊瑚ではなかったのでそれができたのだが、
初の南の海ダイブはハードなものだった。

翌日は別のダイビングサービスに行った。きのうのサービスに対して怒っていたわけではなく、ボートダイビングを
したかったのだ。
そのDSは大きなボートを持っていて、お客があふれかえっていた。しかし、みんなシュノーケリングのお客で、ダイビングは
僕たちだけだった。
ボートで行ったポイントはドロップオフで、エントリーしてドロップオフ沿いに30mまで潜った。
ダイビングの経験が少なかった僕たちは30mはそれまでの最大深度で、ちょっとどきどきしていたのだった。
ドロップオフはそのままさらにずっと落ち込んでいるように見えた。
30mなのであまり長い時間その場所にはいなかったが、いるあいだじゅうグルクンの群がずっと右から左へ
通り過ぎていくのだった。当時僕はタカサゴ、クマザサハナムロ、ウメイロモドキなどの名前を知らなかったので、その時の
グルクンがなんなのかはわからないのだが、ずっと続いていた群は記憶の中から薄れることがない。

昼間はダイビング、夜は飲んだくれるというバラ色の日々を一週間過ごし、帰りの船に乗った。
帰りの44時間はあっというまだった。疲れのためいくらでも寝ることができたのだった。(おしまい)

このページには写真はありません。当時水中写真は撮っていませんでした。
2004年5月末に25年ぶりに与論島へ行くことにしました。
そこで、その前に1979年の与論を記録しておこうと思ったのでした。         


2004年5月末、25年ぶりに与論島へ行った。
25年前の与論島とどう変化していたかは、よくわからない。
泊まった地域が違うし、25年前の記憶が印象に残ったもの
しか覚えていないので。
ただ一つ今回わかったことは、25年前の与論島はブームだったこと、
そして今はそのブームがとっくに終わってしまったことだった。

25年前、与論島は沖縄返還前の日本で一番南の島ということで、脚光を
浴びていたようだ。もちろん25年前、沖縄は日本に返還されていたが、
それ以前からのブームがまだ続いていたのかもしれない。
ディスコが何軒もあり、夏は島中若者で溢れていた。
ブームは去るものなので、今は静かな島に戻っていた。ブームの頃にも
街並みを出るとサトウキビ畑がずっと続いていたが、今もその景色は
変わっていなかった。

羽田発20時30分のJTA059便に乗り、23時過ぎに那覇に着いてそのまま
タクシーで那覇マリンウエストに直行した。マリンウエストはビジネスホテルで
那覇港に歩いて5〜6分のところにある。那覇には那覇港、那覇新港、泊港
など港がいくつもあり、与論島へは那覇港からマリックスライン、大島運輸の
2つの船会社が就航している。2つの船会社が交互に毎日就航しており、那覇発は
午前7時の日と8時の日がある。
その日は午前7時発だった。船は5000トンほどあるので、少しくらいの波では
揺れない。5時間ほどの船旅は横になって本を読んだりそのまま寝てしまったり、
のんびりとしていて快適なものだった。

島のことダイビングのことは、「与論3」で書くことにして、帰りのこと。

帰りは2時半に与論を出て、19時半に那覇港に着く予定だった。そのままタクシーで
空港まで行き、20時40分発の羽田行きJTA058便に乗るつもりだった。
しかし、島にいる間に、この計画には無理があることがわかった。与論-那覇の船は、鹿児島から
いくつもの島に寄ってから与論に寄り、本部港最後に那覇港に着くのであった。鹿児島からの
長い行程なので、海況によって船が予定の時刻を遅れることは、当たり前のことだった。
したがって、この計画では058便に乗れないことが十分に考えられた。
前日に2ダイブをしてから、すぐ船に乗り、那覇港到着後マリンウエストで泊まることにした。
翌日は飛行機まで時間があったので、レンタカーを借りて、美海(ちゅらうみ)水族館、万座毛、
残波岬へ行った。

2004年5月末の与論島で、ダイビングサービスは
スモールワールドダイビングサービスにお世話になった。
与論島は25年ぶりでほとんど初めて行くようなものだったから
アクセスの方法、那覇での宿の紹介、与論での宿の手配など
何から何までお世話になった。
「午後から2ダイブしたい」「午前中に2ダイブ済ませたい」などの
わがままを聞いてくれて、本当に助かったのだった。
お客が多い時では、このようなわがままを受け入れてもらうのは
むずかしいのだろうが、できる限りのことをしてくれる。

与論島のいいところは、島が小さいこと。小さいと島内の移動時間が
少なくてすむ。さらにボートポイントは港から5分くらいのところが多く、
とても楽チンであった。
スモールワールドは石井さん一人でやっているサービスである。
ボートは2艇あり、北と南の港に1艇ずつ置いてあるので、風向きに
よって選択している。

石井さんとほとんどマンツーマンだったので、ストレスなし心配なしの
ダイビングだった。撮りたい被写体を独り占めでいつまでも撮れると
いう贅沢なダイビングで、「こんな贅沢していたら、普通のダイビングが
できなくなっちゃうな」と思ったのだった。

ピグミーシーホースは撮りやすい環境にいたし、ここ何年か撮りたいけど
出会わなかったアカテンコバンハゼも見ることができた。
しかしアカテンコバンハゼの撮影は成功しなかった。珊瑚の隙間で
暮らしているアカテンは、それだけでも撮影しにくいのに、ちょろちょろと
動きまわる。ファインダーを覗いて見つけるのが大変、「あっ いたいた。」
と思ってピントを合わせ始めるとどこか別の場所へ行ってしまう。
おまけに住んでいる珊瑚の隙間が狭かった。長い時間ねばったが、
結局シャッターを一回も切らずに終わってしまった。
アカテンコバンハゼは緑地に赤い点というとてもきれいな魚だ。
いつか撮ってやろうと思っている。