三宅島
 初めて三宅島を訪れたのは、大学3年の春休みだった。ダイビングを始めたのが前年の5月だったから
まだビギナーの域を出てはいなかった。
 いまからかなり前のことなので、その頃伊豆七島にはガイドシステムがなかったと思う。
ぼろぼろの車とタンクを借りて、ダイビングサービスの人が「今日はあそこで潜るといい」
と言われたビーチへ行った。車は足元に敷いてあるビニールシートをはずすと、地面が見えた。ビーチは大
久保浜、釜の尻、錆が浜などへ行った。

 それまで伊豆半島しか潜ったことがなかったので、三宅島の海は透明度がよく、エントリーした瞬間
遠くまで見えてしまう体験にわくわくさせられた。しかし、3月の三宅島は思っていたよりずっと水が冷たく
震えながら潜っていた。イセエビをこの時始めてみた。

 「釜の尻」で潜ったとき、一度流されそうになった。
ビーチエントリーしてコンパスを行きたい方向に合わせ、まっすぐ進んだ。
私が先頭を行くことが多く、このときもそうだったが、魚や地形を見て楽しむ気持ちと「だいじょうぶかなあ」
という気持ちが半分半分だった。
ある程度進んでから残圧を見て180度向きを変え、戻ることにした。
そろそろエントリー地点に着くかなと思ったころ、急に流れが強くなった。
「あれっ おかしいぞ」
と感じて、残圧が少なかったので浮上することにした。水面に出たらもっと流れが強かった。エントリー地点
より50mくらい沖にいた。水面を泳ぎ始めたが、水底の景色が変わらなかった。さらに強くフィンキックしたが
ほとんど進まなかった。
こういう時って、絶望に近い気持ちになる。「このまま太平洋の真ん中のほうまで流されていくのかな」などと
いう考えが頭の中に浮かんでしまった。
そこで手を使うことにした。カメラなど手には何も持っていなかったので、クロールのように水をかいた。
水底の景色が少しずつ後ろへ行く。疲れたけど休まず泳いだ。
流れがなくなりフィンキックだけで進むようになり、無事にビーチに着いた。

 この頃こんな力まかせのダイビングをしていた。今思い出すと本当に怖くなる。最近ではガイドと一緒に
潜るし、バディと二人のダイビングは慣れている海で優しい海に限っている。

  アオリイカ  


1999年6月12日久しぶりに三宅島を訪れた。
東海汽船のストレチア丸特2等を取り、6時間半の航海で三宅島へ着いたのは、午前5時だった。
 スナッパーダイビングセンターの迎えの車に乗り、島の外周道路を走った。海岸には黒い溶岩が流れ出ていたが、それがそう遠くない昔であることを感じさせた。前回潜りにきた後だった。雄山が噴火し溶岩が流れ出たのは。
「三宅島では雄山がいつ噴火するかわからないから、大きな建物は建てないそうだ。」という話を聞いたのはこの時だった。
 走りながら風景を見ると、実に緑がたくさん目に飛び込んでくる。都会の日常での疲れを癒すには、この緑、海は最適なものだ。

 ダイビングは、大久保浜・メガネ岩・学校下で潜った。
 大久保浜ではアオリイカの産卵を見ることができた。産卵しに来たアオリイカに静かに近づくとかなり近くまで寄らせてくれる。上の写真はこの時のもので、50mmレンズでは画面にいっぱいだった。
 メガネ岩はこの時季だけオープンする期間限定ポイントだが、さすがに魚影が濃かった。
 学校下はウミウシがたくさんいるポイントで、1回のダイビングで7〜8種類のウミウシを見せてもらった。スナッパーの野田さんはウミウシが好きな人で、もちろん詳しくもあり、さらに見つけるのがうまい。
 ダイビングの後は温泉に入り、湯上りのビールがうまかった。ダイビングをして、温泉に入り、おいしいものを食べながらビールを飲み、海の中の話をする。これがダイビングを楽しむフルコースだなといつも思っている。
 翌日午後ストレチア丸で帰った。「また来年来よう。1年に1回は来たいな。」

翌年、その思いを忘れず、6月羽田空港にいた。船旅もいいけど今年は飛行機で行って、船で帰ってこよう。
羽田空港に着くと「三宅島」行きは天候の関係で出発を見合わせていた。「大島」「八丈島」も同じだった。
やがて「大島」が着陸不可能の場合は引き返す条件で飛んだ。次に「八丈島」が欠航になった。最後に
「三宅島」も欠航だった。この年の三宅島行きは終わった。
 金曜日に出発し土日にダイビングをして、日曜日に帰る予定だった。その翌日の月曜日三宅島に大きな
地震が起きた。その後雄山が噴火し、島民全員避難となり現在もそれが続いていることは、だれもが
知るところである。
 三宅島のことがニュースで出るたびに、あの緑と黒と青が目に浮かんでくる。
 早く島の人たちが戻ることができることを心から望んでいる。私もまたあの島の時間を過ごしてみたい。
ウミウシ探しをしたい。

  コロダイ
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Miyake