海の中のひとりごと
2004.4.4   パラオの現地旅行社


海外に行くと、到着した空港に現地の旅行社の人が、迎えにきている。
日本人の時も外国人の時もあるが、外国人の場合日本語がかなり話せる人の
場合が多い。国によっては日本語が話せない外国人もいるが、名前を確認して
バスに乗せてホテルまで送るという仕事なので、簡単な単語(日本語であったり
英語であったり)でどうにかできてしまう。

今回のパラオでは空港に曙をやせさせたようなパラオ人が迎えに来ていた。
僕たちの名前を確認すると
「ちょっと待ってね。あと二人来るから。空港出て右に行くとうちのバスがあるから
そこで待ってて」
日本語はかなりできたが、敬語までは使えなかった。
その後も
「やあ 元気。何か困ったら電話して」
「朝のブルーコーナー潜ったことある?すごくいいよ。朝が一番いいんだ。
 次に午後かな」
ため口で話してくるたび、おかしさをこらえながら、楽しい気持ちになっていった。

言われたところまで行ってみたがバスはなかった。
1台小型のマイクロバスがあったが、「MARIN SHOP ALPHA]と
ボディに書かれてあった。
「これはマリンショップだから旅行社のバスとは違うし・・・
 その他の車は乗用車ばかりだし」

少しして気が付いたのだがその車には「愛知県」とも書いてあった。
南の島で走っている車にはよく日本の会社やお店の名前が付いている。
「中村土木工業」「小林建設株式会社」・・・などの名前が付いた車が
南の島を走っていると違和感があるが、よくあることなので最近では
慣れてしまった。

「日本の中古の車はなかなか壊れないからいい」という話もよく聞く。
愛知県のマリンショップ「アルファ」の車は、海に遊びに行くお客を乗せて
串本あたりまで走っていたのだろうか。

パラオの曙が2人の日本人客を連れてやってきて、案の定「アルファ」の
ドアを開けた。スーツケースを詰め込みパレイシアホテルまで送ってもらった。


帰りの日、パレイシアホテルで空港まで送ってもらうバスを待っていた。
ロビーには20人ほどの日本人がいて、同じように待っていた。
夜の12時を少し過ぎたころ大きなバスで迎えが来た。一人一人名前を呼ばれたが
僕たちの名前は最後まで呼ばれなかったので
「別の旅行社なんだ」
と理解したが、20人ほどいた日本人が全員そのバスに乗り込み、ホテルのロビーに
僕たちだけが残され、12時を過ぎたために照明も暗くなり
「ほんとに迎えがくるのか」という心配が起きてきたので、日本人らしいフロントに
聞くと
「スイングリーツアーさんはいつも12時半くらいに来ます。大丈夫ですよ」
ということだった。

12時半に曙は現れて、お客が僕たちだけだったので乗用車で空港まで行った。

曙といろいろ話をした。
スイングリーツアーは一人でやっていること。
夜中の送迎があり、一人でやっているとなかなか寝る時間がないこと。
17歳の時から日本に4年間勉強に行ったこと。
初めの数ヶ月は福岡熊本にホームステイして、そのあとは東京でアパートを借りて
アルバイトをしながら日本語を学んだこと。
いろいろなアルバイトをしたけど、一日一万円もらえたので、生活できたこと。
2年後くらいには「旅行社」の仕事の他にダイビングサービスを始めたいこと。
「独立」する前はパラオでダイビングガイドをしていたこと。
(サービスはネコマリンとスプラッシュ)
一番したいのはダイビングのガイドなのだということ。
パラオ政府は外国にいろいろなことをお願いしてばかりで、自分たちでやろうとしないこと。
パラオのために一番よくしてくれているのは、橋や港を作ってくれる日本だということ。
銀行は政府関係者にはお金を貸すけど、それ以外の人には少ししか貸してくれないこと。

話を聞いていて楽しかったのは、パラオの曙のやる気を感じたからだった。
南の島の人たちを見ていると、昼間から道端に座っていたり、家にいたり、中には酒を
飲んでいるのがいたり、勤勉なイメージはない。
しかし勤勉でやる気があって計画的で、という人たちは必ずいて、その人たちはいい仕事に
就き活き活きと毎日を送っている。
海の楽園・ダイビング